ちょこちょこ読んでたミニマリストの聖典とも評される書籍「ぼくたちに、もうモノは必要ない。(増補版)著・佐々木典士」を読了。
全体的に同じことを繰り返し説くのでくどい感じはするが、ミニマリズムの行き着く先を提示してくれるので、本書を読むとミニマリストとはなんたるかをイメージできるようになります。
以下、気になったポイント。
ジョブズの制服はイッセイミヤケのタートルネック、リーバイス501、ニューバランスのスニーカー。ミニマリストのジョブズが作るアップル製品はやはりミニマル。そこには禅の精神。
ジョブズが私服を制服化している話は有名。ミニマリストを目指す多くはジョブズに倣ってまず衣類から整理していく。僕もけっこう衣類は処分した。
服の数ではなく本当に似合う服だけを着るというおしゃれもある。
本当に似合う服というのを探し出すのがむずかしいんだけども。
画家梅原龍三郎の遺言。「生者は死者のために煩わさるべからず。」
まさにそのとおり。だけど生者からするとなかなか難しいところもある。
持つことにはお金以外にも様々なコストがかかる。タダはタダではない。
タダだから、とか安いからとか。どんどん別のコストをかけていることに気づくこと。 例えば、「大盛り無料です!」とか言われたら条件反射的に「じゃ大盛りで」と言ってしまう自分に反省。
ミニマリストも防災用品だけはしっかりと用意する
そこはそうなのね。
ミニマリズムの帰結は「足るを知る」こと。
そのとおり。「吾唯足知」 by龍安寺
ミニマムライフコストを知る。
これはまさにライフプランシミュレーション。僕らの推奨する終活のひとつ。 終活はライフプランから始まると言っていい。
10万円のコートを買う。10万円で旅行に行く。どちらの楽しさが残るか。
モノは消える。経験は残る。
大事なこと以外を減らし大事なことに集中する。
大事なことに集中するためにそれ以外のものを減らしていくという思考。
モノを減らすと意識が自然と自分の内側に向かう。瞑想が習慣に。
このあたりになると経験してみんとわからん感覚ですね。ミニマリストになると意識が内側に収束していくのかな。無限なる意識の世界?
モノをミニマルにすると情報もミニマルになっていく。
現代社会人はタダでさえ情報の洪水の中にいるのだから、アンテナはむしろ閉じていくべし、という主張。大事な情報はそこじゃない。ということ。
ミニマリズムによって自分で張るセーフティネット
生活をミニマム化していくと生活費も自然とミニマムになっていく。貯蓄も自然と貯まる。月10万あれば悠々暮らせるようになればしめたもの。老後資金の不安がなくなる。そこを目指して生活をミニマム化していく。この発想は終活にも大いに取り入れるべき。
人の為に何かすると幸福感で寿命が伸びるという研究結果。
人の為に尽せば、人も自分も幸せになり、この幸福感、科学的に言えばドーパミンとかセロトニンとかオキシトシンとかの幸福ホルモンが人間の寿命を伸ばす。情けは人の為ならずとはこのこと。
幸せになることはできない。今、幸せを感じられるかどうかだ。
幸せはなるものじゃなく、感じるものだ。
モノを手放すと「今」だけが残る。今に集中できるようになる。つまり過去の後悔とも将来の不安とも無縁になる。
この感覚もそこまでたどり着かないとなかなか理解できるものではなさそう。
ミニマリズムとは幸せを感じるための手段であって目的ではない。
だからいつでも卒業したりまた復学したりできるのがミニマリストの世界らしい。
人は誰しもすべてのモノをこの世に残して旅立つのだ。
最後の最後まで自分のそばに置いておきたいモノってなんだろう。
というわけで、ミニマリストを追求すると、モノへの執着心がなくなり、最後は自分の内面に戻ってくるみたい。そして自分のためでなく他人のために尽くすことに幸せを感じるようになるらしい。
そんな境地にまで達するかどうかはさておき、まずは自分の身の回りから大事なものに集中していくのがよさげです。