以前も引用した厚切りジェイソンの記事にこんな一節があります。
僕は節約家として有名で、毎年使うお金があまりにも少ないので、大金がなくてもFIREできるんです。モノは持たないし、欲しいと思わない。ミニマリストに近いのだと思います。(中略)幸いこうした感覚は妻も同じで、僕がプロポーズをしたのは、映画を見た後に僕の自宅で牛丼を一緒に食べた時。結婚指輪も5000円くらいでしたし、結婚式に何百万円もかけるのはばかばかしいから、牧師さんを自宅に呼んですませました。(出典:厚切りジェイソンの投資論「人生をリッチするために必要な投資と節約術」|@DIME アットダイム)
この感覚に深く頷くのであります。
僕もあまりモノを持たないし、モノに執着があまりなく、モノが増えてきたら少数精鋭だけ残して躊躇なく処分します。ゴリゴリのミニマリストというわけじゃあないけどミニマリスト志向なのは確か。
家族がいるとなかなか好きにはできないけど、もし独り者ならあの元朝日新聞アフロ記者の稲垣えみ子さんみたいに何も持たない生活をしているかもしれない。iPhoneとiPadとMacBookだけ持って。
今の時代はうまく死ぬことも難しい。老後不安をあおられて、あれも足りないこれも足りないと要塞を作っていく方向が一般的ですが、そうじゃない生き方を模索したい。お金やモノを抱えて老後を心配するのでなく、全てを使い果たして、野垂れ死にできたら最高だと思うんです。(出典:【アカデミー賞三冠「ノマドランド」】女一人“家無し”で生きる現代のノマドに、アフロ記者稲垣さんが感じた「自由」 | 文春オンライン)
これはその稲垣さんの言葉。終活の一つの方向として非常に参考になります。
終活とミニマリストは相性がいい
人間歳を取ると人間関係や行動範囲など自然と生活のダウンサイジングが伴います。
モノへの執着もだんだんと薄れてきます。
ところが、歳を取ると片付け自体がおっくうになる。
気づいたら大量の不必要なものに囲まれた汚部屋、ゴミ屋敷で生活していた・・・
すでに自宅や親の家にそんな兆候が観られる人も少なくないのでは。
そうならないよう、50を過ぎたら終活の一貫として意識してミニマリストを目指すはとてもありだと思います。
終活とミニマム生活はとても相性がいいと思うのです。